3/20 対面での給食

伊米小は、全校児童がランチルームで給食を食べています。
3年前までは、友だちと楽しくお話をしながらの給食であった訳ですが、
コロナ禍により、一方向を向き、隣の児童とはパーテーションで仕切られ、基本黙食で給食を食べています。

(先週までのランチルーム)

「先週までの」と書いたのですが、そうです。今日から対面での給食を開始しました。
もう少し前から開始する予定でしたが、インフルエンザの流行状況から延期し、今日から開始しました。

今日の給食の様子です。



(向かいの児童とは1m50cm離れています。)

食べるときは基本黙食ですが、友だちの顔を見ながら食べることができるのはやっぱりいいですよね。
子どもたちの中に入って食べる担任もいて、とてもうらやましいです。

振り返ってみると、今の4年生が1年生の終わりごろ、コロナによる対応が始まりました。
ということは、丸3年間、一方向を向いたパーテーションの給食だったわけです。
ということは、今日は、1,2,3年生にとって、初めて友だちの顔を見ながら食べる給食だった!ということです。

給食も少しずつ、コロナ前の状態に戻りつつあります。

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今日のプラス1

今日の朝から、登校も新年度の体制です。
5年生等が先頭で、6年生は最後尾で見守ります。

いよいよ3学期も今週で最後。6年生と一緒に登校できるのも今週限りです。

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今日のプラス1

体育館下の倉庫に行ってみたら、

このような石のプレートのようなものがありました!(この面の大きさは、縦20cmぐらい、横90cmぐらい。厚み15cmぐらい)
「記念の何か」に置いてあったんだと思うのですが、側面をみても何の手掛かりもありません。

そこで、伊米小に関する資料を少し調べてみました。
沿革誌によると、創立六十周年は、1934(昭和9)年ということがわかりました。
文字が右から左へと今とは違いますが、90年近く前のものとは思えない、きれいなものです。

そして、その少し前には、
○1923(大正12)年~1925(大正15)年 第1回~第6回八海自由大学 開講
○1929(昭和4)年 校舎増改築のため校地を拡張し、新校舎竣工 同窓会が校旗を寄付
○1930(昭和5)年 当時校長が、校歌の作詞を北原白秋に、作曲を山田耕筰に依頼
○1931(昭和6)年 校歌を文部大臣に申請。認可されず
などの、伊米小の歴史の中でも大きな出来事があった時期のようでした。

そして、1934年のところには、
○1934(昭和9)年 六十周年記念として、国旗掲揚塔を設置 題字駒形新作先生
とありました。

ということは、「もしかしたら、現在の国旗掲揚塔にこのプレートがついていた?」という予想ができるのですが、真実はどうなんだろう・・・。なんか資料がないかな・・・と思って、
伊米小100周年記念誌「伊米ヶ﨑校の百年」(この頃は、崎でなく、﨑なんですね)をパラパラとめくってみました。

すると、ありました!

写真の下には、「創立60周年記念事業として、国旗掲揚塔が建てられた」と記載されています。

右上を拡大!

同じです!
当時校長先生だった駒形新作先生が揮毫されたものでしょうか。

当時の航空写真と、現在の国旗掲揚塔です。
現在の掲揚塔はグラウンド奥の川そばにあります。
体育館(以前の屋内運動場)の位置は変わっていませんから、航空写真から、国旗掲揚塔の位置は変わったことがわかります。
また形状から、60周年の掲揚塔を移動したものではないと思われます。

もっと、詳しい資料があるのかもしれません。
伊米ヶ崎地域をずっと見守ってきた伊米ヶ崎小学校。
伊米小の歴史について資料を整理してみたくなりました。

伊米小は新年度(令和5年度)149歳を迎えます。
そして、令和6年度、150周記念式典を予定しています。

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