9/16 伊米ヶ崎の昔について② ~6学年総合学習「伊米ヶ崎の歴史」~

6年生の地域学習の2回目、7月に引き続いて小出公民館長八海昭夫さんから来ていただきました。今回は伊米ヶ崎小校内にある絵画、書、石碑等を巡り、それにまつわる人、事柄等を学びました。

まず、教室でガイダンスの後、校内探検に出発!
①体育館入口にある宮里靜輝が描いた「富士山」(水墨画)。宮里は虫野で生まれ、神職の傍ら作品制作を行いました。作品は宮内庁にもおさめられているそうです。

②体育館の校歌 書いたのは駒形新作。駒形は干溝に生まれ、伊米ヶ崎小校長他多くの校長を歴任し、県視学、与板町助役、教育長となりました。また、能書家として多くの作品を残しています。

③「倹約令」研修室に飾られています。校舎を建てるにあたり、資金を捻出するために酒宴や孫祝いの禁止などが書かれてあります。伊米ヶ崎地域の教育への熱い思いが分かる資料です。

④「紫陽花」作者は渡辺泰亮。渡辺泰亮は伊米ヶ崎小学校第10代校長であり、県視学にもなりました。個性や自発性を尊重する教育方法で子どもたちの教育を実践しました。八海自由大学開催に尽力した人物です。

⑤「皇運扶翼」山本五十六より、紀元2600年記念に揮毫されたものです。五十六の書が書かれたのは、五十六と長岡中学校で同級生だった大浦新田出身の梅田栄太郎との縁によるものです。

⑥書 駒形新作作。勢いのある堂々とした字です。

⑦「渓流」渡辺泰亮作。瑞々しい水のほとばしりが感じられます。水の流れのように自由に生きてほしいという願いが込められているのかもしれません。

⑧水牛の角 児童玄関に飾られています。昭和4年設立校舎の図書室にあったそうです。伊米ヶ崎小学校の卒業生はよく目にしているはずです。

⑨八海自由大学の碑 自由大学とは、青年たちの向学心に応えるため、地方で働きながら自由に大学教育を受けられるシステムであり、大正デモクラシーの中で全国に広がっていきました。県内では、堀之内、伊米ヶ崎、川口で開講されています。

⑩句碑「草に寝て 白日の夢 緑なる」桑川亮川(二畳庵)作。桑川亮川は虫野に生まれ、教員を退職後、童話を語り、全国を行脚しました。

⑪校門 以前は中学校の校門として使われていたものだそうです。

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